地蔵や墓石といった転用石が石垣に使われる信長の『安土城』に行ってみた
本日は日本史上最も有名な戦国武将・織田信長が建てた、滋賀県近江八幡市にある『安土城』にやってきました。
この城は、信長が本能寺の変で亡くなった後に焼失し、秀吉の天下となった後には廃城となっており現在は石垣しか観る事が出来なくなっております。
しかし、信長の足跡を辿れる数少ない場所として歴史好きには一度は行ってみたい城の一つではないでしょうか。
行き方、見どころを含めて現在の安土城の姿をご案内したいと思います。
▼アクセス
写真は、安土城への入口駐車場前です。
電車でくる場合は、JR琵琶湖線安土駅で下車し徒歩約20分程で着く事が出来ます。
個人的には、駅からの道中は立ち寄る場所も少ない為、車で訪れる事をオススメします。
住所:〒521-1311 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6371
▼安土城跡ガイダンス所
安土城についての前情報を持っていない方は立ち寄られる事をおオススメするガイダンスセンターです。
ちなみに、有料駐車場(500円)の利用者以外は、トイレ利用も含めて有料(一般100円/小中学生50円)です。
▼石塁と大手三門
駐車場から入って直ぐに見られる石垣は、安土城の南口を守った石塁と大手三門跡です。
通常の城郭では大手門と呼ばれる出入口が一箇所だけですが、信長は安土城に天皇の行幸を計画していた事から、城の正面を京都の内裏と同じ三門にしたのではないかと云われております。
安土城にあった石塁は、廃城後に造られた八幡城や彦根城への再利用や、江戸時代以降の水田耕作等の開墾により大半が消失しており、現在では当時の正確な造りを観る事が出来ません。
大手三門を抜け、安土城の本丸に向け歩いて行きます。
▼入場料
入場口にまで進んできました。
こちらの入山料は、大人700円/小人200円(幼児は無料)となっております。
700円をお支払いし、いよいよ中に進みます
安土城は戦国期に造られている為、当時では一般的だった山城なのですが、構造を調べた専門家によると防御が薄いと言われております。
※それを真に受けて訪れると斜面もきつく防御力が低いようには素人目には見えないです。
この石段を登り天守に向けて進む途中には、なんとも信長らしい見どころが満載となっております。
それは・・・
▼石段に石仏が・・・
石段を見ると至る所に石仏が使われております。
しかも、こんな風に立て掛けて分かりやすくあるのだけでなく
完全に石段に一体となっているものが無数にあります。
なので、要注意して歩かないと仏像を靴で踏みつけてしまいます。
これは「神仏を信じない信長によってお地蔵さんや墓石もただの石材として利用された」と紹介する情報サイト等があります。
しかし、実は当時はこういった行為が珍しい事では無く、たまたま近くに手頃な石材が無いとお地蔵さんや、五輪塔(墓石)が用いられる事があったそうです。
なので、信長の安土城だけという訳ではありませんが、なんとも気になります。
ちなみに、これは五輪塔といい当時の古い墓石です。
ここの石段では、本当に至る所に石仏が足元にあるのでチンチンが腫れたくない(仏罰)僕は、気を付けて登ります。
▼伝・羽柴秀吉邸跡
安土城内には、織田家を支える家臣団の邸宅がいくつか置かれており、その内の一つに、後の太閤・豊臣秀吉が未だ信長の配下であった当時に居宅として使ったと伝わるが「羽柴秀吉邸跡」です。
安土城に居住しだした頃、信長は全国の武将を敵に回し天下統一への苦難の道を歩んでおりました。
そんな信長の最側近として仕えた秀吉は当時、織田家家中の出世頭と言われていたとは言え、自分が僅か4,5年後に天下人になっているとは思わなかったでしょう。
※天正四年(1576)に築城開始、天正七年に信長が居城とする、天正十年の本能寺の変後に焼失
そんな事を考えつつ、天守へと向かいます。
途中、木々が美しく紅葉しておりました。
この安土城は、紅葉スポットとしても有名な場所になっており、個人的には秋に訪れるのをオススメ致します。
石段をえっこらえっこら、登っていきます。
そして、石段の中腹にある鐘楼が掛かる「摠見寺」の仮本堂前にやってきました。
摠見寺とは、織田信長によって城郭内に建立された寺院で現在安土城を管理しているのもこの寺院です。
今に残る主要な建物は天守付近にある為、後ほどご案内いたしますが、幕末の安政元年(1854)に大部分が焼失しており、元々徳川家康の邸宅跡地に仮本堂が建てられ今日に至っております。
仮本堂へは、入ることが出来なかったので更に歩を進めて行くのですが、ふと石垣を観るとココにも地蔵様が埋もれている事に気づきました。
目立つ場所で見つかった地蔵は、踏まれないように案内板や供物が置かれたりしておりますが、目立たない場所にあるものは埋もれていたりします。
登り始めて3,4分頃に、麓へと目をやると稲穂が色づいた田園風景が広がっておりました。
徐々に急となっていく石段を足元の仏像を踏まないよう気を付けて登っていきます。
余りにも足元に沢山の数の仏像が置かれる事が気になり読んだ案内板には、「城普請に使用する多くの石材は、近郊の山々から採取したものですが、中には石仏や墓石等も含まれていました。 出土した石仏などは、本来は信仰の対象としなっていたものですが、築城の経緯を示すために発見当時の状態で保存しております。」と書かれており、普請当時の姿にとめおく事で歴史的な価値を棄損されないように扱われいるとの事です。
なんとなくですが、せめて裏返しにして仏様の顔は踏まない様に置こうとかは考えなかったものなんですかね??
余りに、画像が多いので次に続きます。
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